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クリスティー・ヤマグチの経歴が気になる!?年齢や学歴・結婚・エピソードなどを調査!

      2016/05/02

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クリスティー・ヤマグチとは

本名 クリスティーン・ツヤ・"クリスティー"・ヤマグチ・ヘディカン(Kristine Tsuya "Kristi" Yamaguchi Hedican)

1971年7月12日生まれ(44歳)

カリフォルニア州の旗 カリフォルニア州 ヘイワード出身

身長: 155 cm

学歴 ミッション・サン・ホセ高校

職業 元フィギュアスケート選手(1992年引退)

配偶者 ブレット・ヘイガン (ヘイガン氏との間に2名の女子をもうけている)

略歴

1971年歯科医の父と歯科助手の母の間に生まれた日系3世アメリカ人のクリスティーさんは、生まれつき患っていた内反足のリハビリの一環として6歳でフィギュアスケートに出会います。

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シングル・ペア共に結果を残す異才ぶり

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その後驚くべき才能を発揮し、女子シングルと並行しペアでのキャリアも積み1988年の世界ジュニア選手権ではなんとシングル・ペア共に優勝を収めます。この時ペアを組んだルディ・ガリンドとクリスティーは回転方向の違う珍しいペアであることも話題となりました。

彼との相性は唯一無二であったようで翌年1989、翌々年1990年にも全米選手権を勝ち取ります。クリスティーは彼を終始のパートナーとし、彼とのペアを解消した後は誰とも組むことはありませんでした。

シングル専念からプロ転向へ

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1991年ガリンドとのペアを解消しシングルに専念したクリスティーは1992年アルベールビルオリンピックのアメリカ代表選手となり金メダルを獲得しています。

翌年プロに転向し2002年にキャリアを終えるまでに、スターズ・オン・アイスの花形スターとして活躍し、世界フィギュアスケートの殿堂入りを果たしており、才能は留まることがなかったようです。

現在は「Always Dream」という基金を運営し、各国のスケート団体を盛り上げるためのスポークスパーソンとして活動されているようです。

人柄とエピソード

アルベールビルオリンピックでは日本代表の伊藤みどり選手の最大のライバルとして、日本国内ではかなり強めの敵対心を抱かれていたようです。実際のところキャリアとして少し上のランクだったクリスティー選手と、飛躍的な成長を続けていた伊藤選手との評価は伊藤選手優勢だったようですが、本番では伊藤選手のトリプルアクセルの失敗に対し、終始安定感のある演技で終えたクリスティー選手に軍配があがりました。

しかし、大会後のクリスティー選手が「ミドリがトリプルアクセルを成功させたことには全く驚かなかった。私が驚いたのは、彼女がもう一度トリプルアクセルに挑戦したその勇気よ。」とコメントしたことで、彼女の謙虚で誠実な人柄を感じ感銘を受けたという日本人フィギュアファンも少なくありませんでした。

彼女のコメントは暗に「伊藤選手が守りに入っていたら自分の金メダルはなかった。実力派伊藤選手が上だった。」という気持ちを表しており、嫌みのない純粋な伊藤選手への敬意が観客の心に届いたようです。

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演技スタイルの奥にあるルーツ

彼女の演技は「優雅で情緒豊かな、どこか日本的な繊細さのある表現」としてかなりの定評があります。そのバックボーンにはやはり、日系である彼女のルーツがあるようです。

彼女の曽祖父母は和歌山県出身(佐賀県嬉野という説もあります)の移民で、ハワイにおいてサトウキビ畑の使用人として働いていたようです。

黄色人種としてかなりの迫害を受けながらその生活基盤を切り開いてきた曽祖父母、その後第二次世界大戦で日本の対戦国となったアメリカによって「日系人であるから」という理由で財産を没収された祖父母、クリスティーさんの父もまた幼少期を収容所で暮らしていたという時代と偏見に苦しめ続けられてきた移民としての歴史と、それでもなお家族の為に何度も市民権を得る挑戦を続けてきた精神が彼女の表現する“何か”の中にあるのではないでしょうか。

最後に彼女の演目の中でも最高峰だと言われる「美しく青きドナウ」と「マラゲーニャ」をご覧ください。

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